いつの間にか動画作り始めて10年以上経っていたので改めて振り返る

色々していたらいつの間にか経っていたので。
改めてとつけているのは以前も動画でやったからですね。
長いよ。

年毎に書こうとするとバックアップディスクに引っ越した動画のログを全部漁らないといけないので大体の区切りごとにやっていこうと思います。自分の中の記憶がメインなのでズレがあるかもしれません。

初期 ニコニコオンリーいろいろやってた時代(12~14年)
なんで動画をしようかと考えたのかは実は覚えてないんですけど、少なくとも人伝いで某ルゾイ(青鬼)を知ったのとちょうど私の中でIbが熱かったんじゃないかって時期(どっちも多分人伝い)だった。
で同級生の二人と家で遊んでいたときに適当にはじめたのがきっかけ。なので色々まぁガバガバなのだ、リテラシー的にも。人を巻き込むのは多分上記の某ルゾイの影響だと思う。(今も影響されてるしこれ以降も随所に影響がちらほら)
最初の数本はエンコードとかも知らないはずなのでbandicam動画をそのまま投稿していたような気がする。
後から無料bandicamの制約をaviutlの動画くっつけでゴリ押すことを学んだところから動画編集はスタートしてる。
最初はマイクもノートの付属のやつだったし、買ったのもバッファローの単一指向のやつ。1回やった後急に音が悪くなった。そこからもう一つ経由していつものソニーのやつになった。

そこからまた何人か巻き込みつつ、自分だけでも動画を作るようになりつつ…という感じ。
ただスタートの割には意外と実況動画は作ってない気がして、プレイ動画とかBGM集とかそういうのをよく作ってた。やることがなかったとも言う。
時限が辛いのでアマレココに切り替えたんだけどそっちはそっちでAMV3の無料プロダクトの存在を知らなかったのでしばらくロゴがついてる。あと時々二重になってた。初期の初期はニコエンコを使っていた気がする。そのため一部動画は解像度が512だったり。
ディスクからも消してる動画が何本かあるけど何消したかは記憶がないぜ!
何回か言ってる気がするけど、マイクラでゆっくり実況を作ったのが初ゆっくり。この頃やluna game5あたりで一回キャラクターを付与した時に感触悪かったので今の形に落ち着いたとも。

14年くらいにexeとかMLPとかを知り始める。最初はROM専でした。
sonic.exeのI AM GODもモノアイピンキーも怖くて眠れなくなったもんじゃ。
ちなみにexeよりもLuna Gameの方が不気味だったので大好きだった。
のでファーストチョイスがLuna Game5なのです。今は非公開なんだけど実は別の同級生と撮ってまして、ゆっくり実況のノリはその時の喋りのままになっております。のせいで見てる方からキツイって怒られましたが。
あと実はLuna Game Xもやらせてるんだけど、何も知らない同級生の方がビビってなかったのは記憶がある。でその時は時間とかそういうので途中で切り上げてる。というか動画撮ってなかったか。
そのためソロで改めて撮ってるのをいつものようにダブルで上げてる感じ。

でこの頃は単純にgoogleアカウントを作るのが面倒だったのかニコニコだけで投稿しています。
しばらくしてアカウントを作ったときについでにチャンネルも雑に作ったのがyoutubeチャンネルの始まり。で当時は何も考えていなかったので結構雑に投稿していた。

ピックアップ Ib実況
前も書いた気がするけど1,2だけデータを渡しているので持ってないんですよね。でもそれ以外は全部残してます。見返さないけど。
なんだかんだ思い出なんだよね。そのせいでsteamのIbはやれてないけど。
同級生にやらせるのが目的だったので私は基本見ているだけだったんだけど、この頃はホラー耐性が無かったので最初の時途中で逃げてる。
あとリベンジで適当に用意したあの設定、文章わかりにくいので改めて簡潔に説明すると、因果関係はそのままにいろんな事象の発生タイミングがずれていく感じ、線の方がそもそもの発生するしないだけど、こっちはいつ発生するかって感じ。

中期前半 ニコニコとyoutube並行 exe動画開始(15~17年)
先に色々書いちゃったんですけど。実質的なスタートはLuna Game Prologueとかuhcakipとかなのでヨシ。
そもそもなんでexeとか上げるようになったかって言ったら、このジャンルの二番煎じが許されるんだっていうのがROM民だった自分の中で分かって、私にも出来るじゃろ!って感じ。biimリスペクトみたいな。
で某マスターさん(LunaXとかもこの人経由)の動画を見ていたときにremember.exeを知り、実際に遊んで衝撃すぎて勢いで動画作ったあたりから本腰入れてるかな。
(このときのグダグダを気にして再挑戦してるし解説も作ってる)
uhcakipらへんはまだそんなにガチでやるんじゃなくて本当に便乗しているだけのチョイスでしたし。rememberも便乗か?多分。
でそっからMARIOWORLD.exeとかそういうのをやっていくにつれ、三番煎じのお陰か割と動画が見てもらえまして。調子に乗りました。
このときが一番白熱していて、毎日投稿を無理やりやって変な動画を無理やり捻出したり、内輪ネタ満載だったり、色々していました。

どうでもいい話をすると、当時はまだまだニコニコ主体でやっていたこともあり、あまり画質分けというものをしておらず、画質がニコニコの一般会員基準でした。
どういうことかと言うと当時はまだ一般は40MBが一本の限度で、20分ですらきついって感じ。そのためつんでれんこを使って調整していました。
画質のほうが大事なので音声のビットレートを極限まで削ってモノラルになるとか。で当時の画質はクソ雑魚です。音もクソ。
途中からプレミアになるので100MBまで許されてるんですけど、少しの間だけでして。
条件付きアップロードに切り替わったんですね。
当時のこと覚えている方なら色々大混乱だったことを覚えていると思います。
この辺で流石にニコニコとyoutubeで動画を分け始めました。ニコニコ基準にすると時間によって画質落ちるのがよろしくないので別々に。

ニコニコ投稿をやめようと思ったきっかけは、当時の新バージョン「く」がクソだったのもありますが、同時投稿があまりにも面倒だったからですね。
今も平均デスクトップより少ないですが当時は1TBの中にソフトとゲームと動画ファイルを詰め込んでいたのでどっちもやると容量に響いていて。
あとずっと使っていたつんでれんこが更新終了というのも。
当時はaviutlでAMV4を使ってaviにしてから、つんでれんこで両方のバージョンをエンコードしていました。
こういう理由でRTA投稿終わったらもうプレミアム辞めてROMになるかってやめました。
でここからyoutubeオンリーになります。

ピックアップ remember.exe、uhcakip.exe
やっぱこれ。rememberは私の中のexeのイメージとかハードルを形作った作品なので。
当時は一層便乗が多く、セリフの間とか最後の引きとかそういうところも含めて相当にパクっています。でもこの時点でだいぶ自分の方向性は固まっていて、肉声を元に作っているとかね。最初のBENのリアクションとか大体まんまのはず。
肉声の方向性が決まったのがuhcakipの方で、私はリアクション芸人なんだなと気づいたのがここでした。Prologueも割とリアクションしていたんですけど叫べる人なのに気づいたのはやっぱウユチカピ。
ちなみにニコニコでは〇〇をやるというタイトルでYoutubeではそのままでしたが、差別化もありますけど多分単にyoutubeアーカイブ目的だったからテキトーだったのがそのまま今続いてる感じでしょうね。

中期後半 Youtube オンリーになった サボりだした時期(18~20年)
この辺から配信も結構やり始めています。
元から今はもうないcavetubeとかでやっていましたが、OBSを学んだのでYoutubeでも配信をするようになりました。
この頃にexeゲームコンテストを発案。実行するわけですが、肝心の動画投稿自体は割とサボりがちになっていました。
上のディスク問題が解決していないからですね。
当時はバックアップディスクなども用意していなかったこともあり、動画を撮れば撮るだけ容量が削れていくような状態だったのであまりやりたくなかったんですよね。
当時も結構色々と案は考えていたと思います。が多分なかったんでしょうね、代わりのものが。

実のところこの辺の動画あまり覚えてないんですよねー。サボり気味だったからでしょうか。切り抜きくらいしか覚えてないけどログ漁るのもめんどいのでパス。

さて、このタイミングでアレで落ち込み1年の本当の意味でのサボりが始まります。
この辺は前書いたからそっち見てもらうとして。
もうちょっと書くなら、3,4万くらいをドブに捨てた感じ。
当時の無計画な計画では大丈夫だと思って、吸音と枠を買って匂いでクラクラしつつなんとか設置したものの。ちょっと暑苦しくなっただけで、ほぼ意味はなく、まぁちゃんと囲わねえんだからそりゃ意味はないんだけど多少は反響とかに効果出るかなーって思ったんだよね。
でちょっと目を離していたらいつの間にか崩れてて、そこで心が折れました。しんどかったよね。

当時割と追い詰められていて、今のままだと他の音が割と入ってしまうし、私の音も外に出てしまうっていうのを結構気にしていて。だからなにかしないと思ってしょうがなくて。これが出来ないと動画配信出来ないぞと。色々部屋の構造とかそういうのも熟慮した結果でもあったのでショックが大きく。
そもそもこんなに時間もお金もかけるようなことだったかと、そもそもなんで動画作ってたっけ。動画作れないなら自分は…。
みたいなね。自分のアイデンティティの半分くらいは動画ですから。こうなった以上それを失う、捨てるような選択肢しかないと思ったわけね。それが頭によぎった時の絶望たるや。

当時の傷跡がまだ残ってるし。

ピックアップ GOBACK.exe
これくらいしか覚えてないんだけどさ、作者さんが配信に来て英語対応にアワアワしていたことも含めて思い出。
今はしょうがないかーって感じなんですけど、当時基本的にゆっくり実況にするゲームって日本語圏内で誰もやってないか、私が一番先にやれなきゃやらない感じでした。
差別化したかったし、掘り出したい欲もありました。
これは結構掘り出せたなーと思ってます。
今はブランクもあるのでそういうのは基本気にしてないです。

後期(~今)
この辺の話も以前しているので大体省きますが、
色々折り合いをつけて準備して再開しています。準備の半分くらいはいらなかったけどな。
深夜に静かにやればいいとかそういう。まぁ意外と声出しても大丈夫だったのでだんだん大きくなってるけど、Starlightが悪い。
動画のスタイルに関しても、前から言われていた音ネタに対する嫌悪の声はこっそり気にしていたので、今のネタの素材を持っていないこともあり、いいタイミングだと思って全部封印することにしました。スラングはポロポロ使ってますけどね。なのでネタが欲しい方はスラングを脳内再生しといてください。
あと音量調整とか明滅対策とか、視聴者への配慮も増量しています。
それ以外はフルHD主体に変わったりしましたが大体は変わらずに同じ雰囲気で作ってます。
今のことなんて特に言うこともないか、数ヶ月だしな。

ピックアップ EYX
現代exeというものを知る切っ掛けになったので。ピシッとしないとと考えていたのがほぐれたのはStarlightとかその辺なんだけど。
配信でも言ったけどリクエストが3件も来た。
色々まだまだリアルタイムで調整しないといけないと悩んでいたときに、程よい編集量(スクロールとか)と程よい翻訳量と長めの時間というのが合わさっていい具合にリハビリになったのがとても良く。このタイミングでこれを動画に出来たのは運が良かったかもしれないと思う。

大体こんな感じでしょうか、10年以上の話を5000文字程度で終わらせられるなら割と短いよねと思います。
もうちょっとガチガチに書くとログ調査も含めとんでもないことになりそうだったのでここで終わります。全部やるなら動画のリスト見ながらやるよ、いつか。長くなりそうなのでやりたくないが。